「もう後は死ぬだけ」そういう高齢の人の話を聴く

長く生きてきたが、もう楽しみが終わった

「もう後は死ぬだけ」と本当にそう思っているか、寂しくてそう言っているのかわかりませんが、そうぽそっという高齢の人はよくいます。結構元気で動けそうな人もそう言ったりします。

さみしそうな老人

逆に、楽しいことばかりでと明るく話す人もいます。

その違いは何でしょうか?

自分がその立場だったら、一緒に暮らしている人だったら、周りに高齢の人はいないか考えながら、「死ぬ」ということを身近に考えてしまうことを、少し止めれることはできないでしょうか。

生きている価値がない

これまで生きてきたのには、色んなことを積み重ねてきました。高齢の人は歴史があります。戦争を乗り越えてきました。

大正15年の人と昭和元年の人は91歳(2017年7月現在)です。昭和元年は1925年12月25日から始まります。

昭和2年は90歳です。まだ90歳でも元気な人はいっぱいいます。このぐらいの人たちは戦争を乗り越えてきました。ちょうど青春の時期が戦争です。戦争時代の話を聴くと、昨日のことのように話します。それだけ印象深いことがたくさんあったんでしょう。

その時代を乗り越え、自分の仕事や生活を必死で築き上げてきました。聴けばエピソードはたくさんあります。

戦争を乗り越えて、子供を育て、家を築き、仕事をして、たくさん生きる価値はあったのに、今はないと言うんです。何でそう言うんでしょう?

話を聴くー生きる意味

周りの高齢の人の話を聴いてあげていますか?何か話すと、また同じことを言ってるとか、昔の話しか話さない。つまらないと思っていませんか。

相手が身近か過ぎると、突き刺す言葉を口に出して言ったり表現したりするかもしれないので、自分の言葉はどういうことを言っているか思い出してみましょう。

➡身近な家族ほど言葉のナイフで傷つけてしまうかもしれません。 会話で人を傷つけないようにするにはは をご覧下さい。

人間って誰にも価値を感じられないと、生きる価値はないと感じてしまいます。

さみしいおじいちゃん

もう高齢になると家族のために何かしてあげるのはなかなか難しいので、自分の価値も過小評価しがちです。だから無視され続けると更に自分の価値を感じられないでしょう。

話をすることはできるのですから、時間見つけて話をする環境を作ってあげましょう。おじいちゃん、おばあちゃんの話を聴くことは価値があるものです。孫やひ孫がいるなら積極的に交わって話をする機会を持てるようにする方が、子供にとってもよい情緒を育てていけます。

孫がおじいちゃん、おばあちゃんを邪険扱いするということを聞きます。そこに自分がいるのは、高齢の人が頑張って家を築いてきたからということを教えていないかもしれません。

おじいちゃんおばあちゃん

おじいちゃんおばあちゃん側も少しプライドを捨てることが必要です。3世代4世代で世帯家族で仲良くやっている高齢の人は、自分の方が若い人たちに世話になると感謝を表しています。また近所の仲間とも一緒に仲良くしようとしています。

孤独になろうと自分からしていないから、楽しい毎日だと言えるかもしれません。

 

「死ぬ」ということを考えさせない日常を

とはいえ、日本は高齢化の文化です。日本の高齢人口(65歳以上の人口)は、65歳以上に人は、4人に1人以上です。

高齢化率(高齢人口の総人口に対する割合)は2010年(平成22年)の23.0%から、2013年(平成25年)には25.1%で4人に1人を上回ってます。

少子高齢化・人口減少社会 総務省より引用

誰もが高齢化の人になりつつあります。明日は我が身が高齢者と思いながら、今いる高齢者のためにできることをして、「死ぬだけ」という言葉を出ないようにしていきたいです。

今身近にいる高齢の人の話を聴いて、これから起こり得る自分たちもどういう風にして生き生きと生きていくか考え、それを今いる高齢の人にもできるか話してみてはどうでしょうか。

それには高齢の人の話を聴くように努力し、努力じゃなく、習慣にしていったらいいですね。

今は毎日が楽しいよって思うようになると、「死ぬだけ」なんて言葉は出てこないんじゃないでしょうか。

 

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